パドルボード紹介
VOL1「波乗りの歴史を知ろう」 NO.2

WAIKIKI BEACHBOY STYLE

 
さて、貿易風に帆を張って、アメリカ大陸からハワイを訪れる観光客の中には、自分自身でサーフィンを楽しもうとする人々が現れました。
小説『トム・ソーヤの冒険』で知られるマーク・トゥエンさんは、見事なワイプアウトを体験したらしくこんなエッセイを残しています。

『ボードは何も乗せない汽車のように浜へと突進し、私は酒樽何杯分もの水とともに海面に叩き付けられた。』(ラ、フィング イット 1866年)
サーフカルチャー

1866年、 波乗りする人をこの時代には、まだサーファ−とは呼んでいなかったようで、サーフボードライダー(波乗り板に乗る人)と呼んでいたらしいのです。    
日本語に直訳したら、まさに『板こ乗り』ではないでしょうか?


やがて写真機(今のカメラとは似ていない)が旅行のアイテムとなった時代、
優雅なハワイの人々の中 には、ビーチでボードを貸し、サーフィンを教え、それを撮影するサービスを商売にする!が現れたらしいのです。お客さまの大切なカメラを濡らさないように、水上で撮影するための技!
それがスタンドアップパドリングだったわけです。

観光客がサーフィンできる程度のコンディションにカメラのストラップを首から下げて、立ったままパドリングアウト。ピークからテイクオフした時には誰よりも先にすでに立っているので、そのままカメラを構えてシャッターを押す。
そうして当時の貴重なサーフィングシーンが写真に残されたのですね・・


21世紀を迎えた今も同じサービス業が存在しています。
地球上の波のあるところでの立派な地場産業ですね。
もちろん道具もカメラも近代化されました。
日本ではデジカメをハウジングに入れて、パドルに付けちゃうのが最新オクダ式です。(padodo cam)

必要から生じた生活の妙技の事をご当地HAWAIIでは「ビーチボーイ スタイル」と呼ばれています。ワイキキの浜辺が発祥なので、正しくは「ワイキキ ビーチボーイ スタイル」と呼びました。
で、波の乗るのが「ワイキキ ビーチボーイ スタイル サーフィン」という長〜い正式名称で、マカハで毎年行われている、サーフィンの大会「BAFFALO’s BigBoard Surfing classic」で、2004年から始まった、新しいサーフィングゲームなのです。


近代サーフィンの父と呼ばれるデューク カハナモクさんもワイキキを代表するビーチボーイ、 当時は仲間とともにこのようなビジネスをしていたのかも・・・?

当時それは、カヌーとともにハワイ観光の花形商売だったのかもしれません。
パドボって、ものすごく格調高いビーチアイテムな気がしてきました。

 
デューク カハナモクさんはサーファーなら誰もが知っているだろうレジェンドでしょう。 初めてハワイから出場したオリンピックの競泳選手で、2度の金メダリストでもあります。 真水とスタートが苦手だったにもかかわらず、驚異の世界記録保持者でした。 靴をはいたアメリカの人やヨーロッパの人達にくらべて、いつも裸足のデュークさんは足ひれのように大きな足をしていたらしい。そしてイルカのように泳いだのでしょうね。


そしてデュークさんは「波乗り文化大使」でもありました。 競技会で出向いた先々でサーフィンをし、さらに多くの人々にその魅力を紹介したのです。
1915年オーストラリアでのエピソードです。オーストラリアの水泳協会がデュークさんにサーフィンのエキジビションを依頼しましたが、その時デュークさんはボードを持っていませんでした。

そこで松材の板から彼自身がサーフボードを作ったそうです。
『8フィート6インチの長さで裏側にくぼみを持っており・・後略』と記録されています。
デュークさんはコンケーブの入った素晴らしい板こをつくったのです。
よいサーファーは、よきシェパーでもある。さすがですね。
そしていい波に乗って見せちゃったんでしょう!
その頃からアメリカ本土やオーストラリアのサーフスポットでは多くの若者達が、波乗りとそのための道具作りに時間とエネルギーを注いでいました。
サーフボードの材質が、木材から石油化学製品にとって変わる半世紀ほど前のことでありました。



・・・・・ALOHA

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