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「setting」
奄美大島シーカヤックマラソンは、今大会が19回目の開催。
奄美大島の南端に位置する瀬戸内町の大島海峡を挟んで、加計呂麻島を往復するパドリングレースです。海辺の各集落に儲けられたチェックポイントを制限時間内に通過しながら、フルマラソンは36キロ、ハーフマラソンは20キロを
男も女も小学生も年長者も
みんな、がんばって漕ぎきります。
ダイビングの歴史とパドリングの文化とシーカヤックマラソン、これが瀬戸内町の文化継承であることは、間違いありません。
写真キャプション
パドボ事業部代表 奥田サトルと、このレポートをしているミユキです。
レース中にも写真を撮りまくりましたよ!
選手の目線から撮影し、フォトコンにも応募しま〜す!!(上)
サーフ屋さんもパドボでGO!(下)
昨年来、奄美大島での豪雨災害や、3月11日に発生した東日本大震災などの影響もあり、エントリーの出足は鈍い。と聞いていましたが、
いざとなったら、出場選手456名。出場艇数304艇と、
過去最大規模の大会となりました。
開催回数(初回から19年経つということ)を数える間に、
時代とともに出場艇のバリエーションが増え、シットオンタイプやらファルトやらアウトリガータイプやらサーフスキーやらと、参加艇ごとにカテゴリーも増えています。
スタンドアップパドルボード・パドボでの参加は昨年の18回大会から、
今大会で2回目のチャレンジになります。
エキジビションとしてのオープンクラスでの参加枠です。
「menber」
スタンドアップパドルボーディグでハーフマラソン20キロへの挑戦は、昨年を大きく上回る19名ものエントリーがありました。
そのうち13艇がPADOBO「paddle surfer11”4‘」での参加です。
では、パドボチームを紹介しましょう。
昨年に引き続き2回目の挑戦となるのは、桑原陽(アキラ)、
奥田耕三、福田和矢、山中康臣、青木智裕、奥田哲、奥田みゆき
の各選手(敬称略)
初挑戦したのは、
パドボグランプリでおなじみ、柄本昌彦と海(カイ)が親子で参加。
奥圭太は島一番のリゾートホテルの重役。ご多忙な様子で、スタートぎりぎりに会場に駆けつけました。
島の女性代表で初挑戦した、二神京子、
航空機パイロットの熊谷寛太、
加計呂麻島から参加した瀬戸内のパドボ布教員、岩橋弘明(ヒロ)
の各選手(敬称略)
で、パドボチームは総勢13名です。
その他のSUPボードが6名いて、その内ふたりが女性。
私を含めて合計4名ものレディスが参戦です。女だってがんばるよー。
さぁ、みんな!
完走を目指して、ガッツでキバリンショ〜(がんばろー)!!
「Condition」
完全な凪(なぎ)の海面は、どこまでも青く澄んでいました。
ゆるい南風はぬるく、ピーカンの空に輝く太陽の容赦のない暑さに、
レース中の熱中症対策が最重要事項となりました。
そして大潮。
スタートから2つ目の通過ブイとエイドティションが設けられる嘉鉄沖の潮流が早くて危険(確かに引き潮時には渦を巻いて流れていました。)ということで、嘉鉄を抜港。
昨年の大会と同じく2.5キロをショートカットして
清水から大島海峡を横断し、渡連に向かう約17.5キロ(ハーフ)に
短縮されました。
開会式では選手たちは水上に浮かび、まずは全員で震災の犠牲になられた方々への黙祷を行いました。
そして選手宣誓も力強く高らかに、
本大会のキャッチフレーズである「海は世界をつなぐ、人をつなぐ」
の文字通り、奄美・瀬戸内町から元気いっぱい、海の楽しさを伝えることが出来ればいいね!
東北の海にいつか再び笑顔が戻りますよう、心よりお祈りいたします。
左の写真は、パドボチームの花の応援団
暑い中を最後まで応援、ありがとう!
参加選手に同伴の応援者は、船に乗せてもらってコースを回われる。
とても親切な運営側のサービスだ。
スタートラインに並ぶ各選手のみなさんは、緊張の中にも和気藹々。
いろんな仮装もあって、本当に楽しいね!!
カトチャンがいっぱい??
「pe,pe,pe」
「Start」
スタートは2つのグループに分けられます。
最初にスタートするのはフルマラソン36キロに挑む選手たちと
駅伝チームの最初の漕者、全155艇。
9時30分。
スタートの合図で最初のグループが一気にスタートすると、
各選手のパドルが起こす波しぶきで、海面が波立ってきます。
ざわざわとその熱気が、水面から伝わって来るようです。
我らがパドボチームは、第2グループ。
ハーフマラソンに参加するカヤックなどに混ざって、
全149艇での一斉スタートです。
大会本部からの放送では、スタート3分前からコールされます。
私はゆるゆるとスタートラインに近づきながら、有利なポジションを探していました。
1分前
そして30秒前のコール・・・
ボードに立ち上がって、ゆっくりとパドリングを開始。
混雑する参加艇同士の狭間で、他艇のパドルがぶつからない場所をキープしながら、徐々にスタートラインに近付いて行き
「5.4.3.2.1.スタート!」の合図で、猛ダッシュを賭け、
スタートラインでは、少し前にいたカヤックとスタートマークのヨット
(正確には白いヨットの右舷に係留した海賊旗を掲げた黒真珠号)
との間に、ボード1本分の隙間を見つけて、すかさず突っ込みました!
狭い隙間を抜けるためにレギュラースタンスをとり、沖側(トゥサイド)のレールを入れて、スターボードサイドの素早いピッチのパドリングを繰り返した結果、
前のカヤックをかわして、快心のスタートダッシュに成功!!
写真キャプション
選手を送り出す勇壮な出陣太鼓は
地元の子供たちによる「ジュニア ホノホシ太鼓」(左)
下の写真
私を抜き去り、次世代のホープ、柄本海が行く。
いつの間にか伸びたその背中を見送りながら、
思わずパドルを止めてシャッターを押した
「in Race」
「スタートを征するものがレースを制する」とは、よく言われる。
海上スタートでの鉄則です。
ところが、私の場合、首尾よくスタートダッシュで先頭グループの沖合いにポジションを取ることができましたが、その後、前と左右の三方をカヤックに囲まれてしまい、彼らのパドルの渦に巻かれて、思うように前に出ることができません。
苦境にハマッタ私の沖側を飄々(ひょうひょう)と抜き去ったのは、
柄本海(つかもと かい)15歳!
5月に手広で開催されたサーフィン大会・ASPジュニアツアーにも参戦した、
オクダスタイルサーフィングのルーキーです。
私を抜いて行った海は、その後、父親である昌彦に追いつき、
遠慮がちに後ろに付けていた息子に、父は「行けよ」と
一言でその背中を押してやり、そして息子は親を越えて行ったそうだ。
「あの野郎、早かったよ・・・」と、後から聞いた父親の談。
ちょっと、悔しそうに語るその言葉の裏に、息子の成長を好ましく思う気持ちを
ありありと感じたのでした。
うわぁ〜 親子のドラマだ・・・(涙)
ここにも感動の風が吹いたぁ〜!!!
ところで、、今回「スタンドアップパドル」の部門にエントリーしながら、
立って漕ぎ続けることができなかった人がいました。
「スタンドアップ パドルボーディング」では、シングルブレードのパドルを使用しますが、片側だけを漕ぎ続けてまっすぐに進むためには、流れの上にボードのレイルを沈める(リーンイン)や、横流れや横波の中でのパドル操作(ブローチングやスゥィープ)が出来なければなりません。
サーフボードで、これらのテクニックを有効にするには、「サイドウェイ スタンス」でのスタンディングポジションをとるか、または「パラレル スタンス」では、左右の加重を意識的にコントロールして、ボードのレイルワークを行う必要があります。
ところが、立ち続けることが出来なかった3名の選手が使用した「ボードとは呼べない船型の艇」は、ピッチングもローリングも ライダーが自主的に傾けることが出来ず、レイルワークの操作が不可能な様子でした。
リーンを切った状態で不安定なために、立っていることができずに、ほとんどの距離を膝付き(ニーディング)で漕いでいたのです。
この「穏やかな海況において、大島海峡を立って漕ぎきることができなかった」という事実!
ショートカットされたコース設定で、しかもニーディング姿勢でさえも失格ラインの近くまで潮流に流されてしまったことは、スタンドアップパドルボーディングに必要なコントロールの欠如を見たのだと思います。
それだけ、奄美大島シーカヤックマラソンはレベルの高いレースなのかもしれません。
または、彼らの使用した艇はダウンウインドでまっすぐに進むことには早いけれども、横向きの流れや、向かい風や向かい波には、まったく弱いのかもしれません。
「ボードに座って漕ぐ」こと自体を否定するのではありません。
風や潮流が強かったり、三角波で荒れた海面では危険な場合もあるからです。
低い姿勢でのパドリングが必要との判断には「安全に自力で帰還する」という要素が含まれています。
ただし、長い間、スタンディングできないということは、個人の限界を超えてしまったという判断で「レースを棄権したとみなされる」ということになるでしょう。
今後、本大会にスタンドアップパドリングでチャレンジする人が、更に増えることと思います。
パドボ事業部ではシーカヤックマラソン実行委員会とともに、この新しいカテゴリーの参加ルールを確立してゆきます。
そしてレース本番では、お互いが審判ね!
みんなで声を掛け合って、励ましあいながら、がんばって、
スタンドアップパドルボーディングにチャレンジしましょう!!
初チャレンジした、加計呂麻のヒロ アイランドスタイル、岩橋さん
力強いストロークで、ボードが走っているのがマニューバー(軌跡)からわかる。パドボチームは、全員がスタンドアップで完走した!
「PADOBOの実力」
今大会に参加できたことで「良くデザインされたサーフボードって、凄いんだ!」ということをまじまじと実感しました。
流れに逆らい、風に向かって、立って漕ぎ続けることが出来るのです!
考えてみれば、海というフィールドに限らず、あらゆる水面の究極のコンディションとは「波がブレイクする」ということです。
そのブレイクする波を乗り切ることが出来る道具は「サーフボード」なのです。
「ほれた波」は、浅い棚に乗り上げたうねりが急激に変化する海面であり、大波はリップカレントを伴い、ホワイトウォッシュ(スープ)は浮力とコントロールを失わせる、最も危険に満ちた水面です。
これを安全に乗り切ることが出来るということは「なんでもできるのだ」ということであり、我らがパドボ「PADDLE SURFER 11”4`」は「世界最高のボードデザインで、何だって可能だ!」と言い切る自信がつきました。
それを証明してくれたパドボチームの皆さま、本当にありがとうございました。
左の写真は、大阪の熱血教師、奥田耕三さん
パドボグランプリも常連です。
昨年のシーカヤックマラソンにはパドボではないボードで出場し、
強風の荒れたコンディションに、どうしようもなく座ったり、
ついには腹ばいでゴールしたりと、さんざん苦労していました。
今年はパドボで参戦。
穏やかなコンディションということもありますが、タイムをなんと1時間も短縮したそうです。納得、納得。よかったね!
最後になりましたが、楽しい大会をサポートしてくださいました地元の皆さま、
関係各位の皆さまに心より御礼を申し上げます。ありがとうございました。
また、来年、お目にかかれますことを楽しみにしております。
右の写真は
レース終了後に全選手に提供される 手作りのお昼ごはん
真心がこもっていて、本当に美味しいんだ!
ご馳走さま、ありがとう。
『ヒーローインタビュー』
では、恒例のヒーローインタビューをいたしましょう。
毎回パドボのイベントでは、一等賞をとったか、または特別な活躍をした人をクローズアップしておりますが、
今回は、シーカヤックマラソン自体に初参加した 二神京子さんをご紹介します。
(以下、Kが京子さん。Mがインタビュアー、みゆき)
M)
京子さん、お疲れ様でしたね〜!
パドボを始めて間もないのに、初のロングディスタンスレースを完漕し、
2時間54分の記録は立派でした!おめでとうございます。
まだまだ初心者なので、ボードの実力を出し切れていなかったと思いますが、
完漕できたことが何よりの喜びです♪
M)
京子さんの出身地と現在のお住まいを教えてください。
K)
神奈川県出身、奄美大島在住です。
M)
シーカヤックマラソンに初出場してのご感想は?
K)
10キロまでしか走ったこともないのに、ハーフマラソンを完漕できるのか自信がなく、出場を迷いました。
でも、40代のスタートの記念に、新しく出会ったパドボでレースに出ることで、
自分を試してみたくなり参加を決意しました。
十数年前のボディボードの大会以来のゼッケンに、アスリート気分でテンション上がりました。
シーカヤックの大会のため、必死に漕いでもエンジョイ組のカヤックにどんどん追い越され、辛かったですが、同じパドボの出場者を常に視界に捕らえることでモチベーションを高め、がんばれたと思います。
立っていて目立つこともあり、たくさんのカヤックの参加者や、警備のジェットや漁船のスタッフさんにも応援してもらったことも心の支えになりました。
M)
前の走者に喰らいついて行った感じですね!ファイトがありますねぇ。
京子さんは、まっすぐに人生を楽しんでいる様子で素晴らしいです!
ところで、レース中にワイプアウトはありましたか?
ニーディングやシッティング姿勢でのパドリングをしましたか?
もしあれば、どのような状況下でしたか?
K)
海面が良いコンディションだったのでワイプアウトはありませんでした。
大潮直後で潮の動きが大きかった為、特に加計呂麻側の渡連から生間に入る岬のところで座って漕ぎました。
水深の浅い場所の流れがきつく、風も合わさり、カレントに乗って所定のブイの回り込みで大きく膨らんでしまいそうな時には、シッティングやニーディングで乗り切りました。
M)
そうですか、生間港の中から出てくる水流は、磯の上でさざ波が立つほどでしたし、港の奥の山から吹き降ろしてくる向かい風は、このレース中最も強かったと思います。
確かに、漕いでも漕いでも同じ岩が水中に見えていて、まったく進んでいない実感がありましたね・・・実は、そこでは、私もちょとだけ座ってしまいました。昨年も今年も 生間が一番つらかった・・・
京子さん、本当にがんばったよね。
K)
その後のスリ浜までの間にある二つの岩場もけっこう流れていましたが、最初の岬の流れは半端なかったです。あと、最後に海峡を渡る時も巡視船の波と、左からの流れ&風を避けるため、
海峡の中央付近、ゴール手前は下手に流されがちのところを修正するとき座りました。
M)
巡視船の引き波かぁ・・・確かに大きな船の出す波を横から受けるとボードのローリングに耐え切れないこともあるかもね・・・でも、それは今後の練習で、必ず乗り切れるようになりますよ!
では、パドボに関する次の課題や目標があれば教えてください。
K)
サーフィンできるサイズの波がないときには、パドボで波乗りを楽しみながら、サーフィンとパドボ両方の上達を目指したいです。
M)
いいですねぇ・・理想的なライフスタイルを追及していますね。
女性はいろいろと忙しいものですが、お仕事をお持ちですか?
K)
リゾートホテル勤務です。
M)
きょら島のリゾートホテルにお勤めとは、とっても素敵です。
どうぞ奄美大島の女性たちにパドボの楽しさを広めてください。
今回、京子さんにインタビューできたことを大変うれしく思います。
ありがとうございました。
K)
今回お声がけ下さり光栄です♪
ありがとうございました(^_^)/
写真はレース終了後、完走証をもらって記念撮影
サトルと京子とヒロ
右がパドボで初レースを立派に完漕した京子さん。
可愛らしくて、とても40代とは思えません。
それにスマートな肉体には、とんでもないパワーを秘めている!!
今後が楽しみな逸材です。
そして左は、唯一、瀬戸内町から参加した岩橋弘明さん。
瀬戸内のパドボーダーの第一人者です。
漁師と同時に加計呂麻島でペンション「ヒロ アイランドスタイル」を経営する。
その正体は、キャリアもじゅうぶんな実力派のサーファー。
「ヒロ アイランドスタイル」では、パドボのレンタルができる。
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